せっかち小夏のズボラな生活

20代OL気まぐれ日記

表現者になりたかった

私はとても感化されやすい。

良い音楽を聴いたら自分も演奏してみたいし、良い舞台を見たら自分もやってみたい。

良い文章を見つけたら自分も生み出してみたくなるし、素敵な絵を見たら自分も描きたくなる。

 

特に音楽にはよく心を動かされる。

感情が動きやすい私は、素敵な音楽を聴くとすぐに泣く。

楽しい音楽だったら楽しく踊る。

 

私もそんなふうなものを「提供する側」になりたいと思って挑戦したこともある。中学は吹奏楽部で、高校では軽音楽部で。

性格上、中途半端なことはできないので真面目に向き合ってきたつもりだ。でも、残念ながら私は「提供する側」ではないと痛感しただけだった。

 

芸術というのは0から1を生み出すものだと思う。

何もないまっさらなところに自分の中から湧き出るものを表現する。絵などは特にそうではないか。可愛らしいイラストをササッと描ける友人は「練習だよ、練習」と言っていたけれど、私がいくら描いたとて、そんなに可愛いキャラクターを生み出せる気がしない。

もちろん、生み出す人はとても努力していると思う。

でも、楽しんでいると思うのだ。

仕事にしている人は別だろうが、苦しんで苦しんでやっと生み出している感じはしないのだ。私にはとても楽しそうに見える。見えるだけなのだろうか。

 

1から10にするのは苦手ではない。むしろ好きだ。でも、どうしても0から1ができない。これができる人はなんらかの素質があるとしか思えない。

私ができるのは模写まで。

それをより多くの人に見てもらうための工夫はできたとしても新しいものは生み出せない。

 

私も表現する側になりたかった。

誰かの心を動かし、ワクワクさせる側になりたかった。

 

久しぶりに良い音楽を聴いて、諦めていたのに欲が出てきてしまう。

今からでも間に合うだろうか。

表現する側に私も立てるだろうか。