「付き合う前の両片思いの時期が一番楽しい」
つい最近までそんなことを言っていた友人たちも確実にパートナーとの将来をかため始めている。
まっきーの「もう恋なんてしない」は、次の恋に進むための歌だけど、最近の私は本当に「もう恋はいらないな」という思いが強くなっている。
ネガティブな意味ではなく、ポジティブな意味で。
人によって多少は認識の差がるだろうが、誰かを好きになり、胸が苦しくなったり、毎日が輝いて見えたりすることを「恋」と呼ぶことが多い。
相手の言葉や行動に一喜一憂して、感情を激しく変化させる。
恋する期間も楽しいけれど
子供の頃はどちらかというと恋多き乙女だった。
好きな人がコロコロ変わるのではなく、同じ人を何年も思い続ける激オモタイプだったものの、友達と恋バナなんかしたりしながら、好きな人の言動に一喜一憂している時間は楽しかった。
告白だってちゃんとした。
思っていることはハッキリ言わなきゃ気が済まないタイプの私。
それは恋愛に関しても例外ではなく、好きだと思ったら好きだと伝えていた。残念ながら「友達としてしか見られない」と振られ続けていたけれど。
でも、こうやってちゃんと「恋」の期間を自分で乗り切って完結してきたから、「恋」への未練は全く残っていない。
楽しいけれど、苦しいのも事実。
相手が自分のことをどう思っているかわからないのは、純粋に苦しい。
大事にして、大事にされる
ありがたいことに今は気持ちを伝え合える相手ができた。
相手の気持ちを探らなくて良い関係がとても心地よい。
ときめいたり、慌てたり、思いを馳せたりすることは減ったかもしれないけれど、ずっと心地よい安心感がある。
小学生の頃なんかはよく友達と「恋」と「愛」の違いについて語ったりしていた。
人生経験なんて今よりももっともっと少なかったあの頃の私たちは少女漫画を参考にしながら。
「恋」を楽しんでいたあの頃も毎日が輝いていて楽しかったけど、大事に想い、大事に想ってもらう「愛情」というものに触れてしまった今、もう「恋」を楽しんでいた時期に戻りたいとは思わない。
当たって砕けろ精神で、自分の恋はきちんと自分で決着をつけてきたからこその今の感情かなとも思ったりする。
なんだか惚気になってしまった。
まぁ、何年経っても初めての感情の延長線上なものですから。
「もう恋なんてしない」
笑顔でそう言えるのも悪くないなと思う今日この頃。