せっかち小夏のズボラな生活

20代OL気まぐれ日記

子どもは本当に「授かりもの」か

最近、子どもに関する投稿多いなって思っている人もいるかもしれない。

私もそう思っている。

そんなに読んでくれている人がいるかは知らないけど。

 

転職活動を始めて、自分の将来とか考え始めると色々考えてしまう。

今年で私もアラサーの仲間入り。

まだまだ若いけど、人生の大事なイベントはたくさん詰まっている。

油断ならない。

 

人事の仕事をしている身内に「仕事で活躍することと子どもを持つこと、どちらも望むのはわがままか」という話をした。

その会話の流れで、

「まぁ、そればかりは授かりものだから」

と。

 

果たしてそうだろうか。

 

もちろん、産みたいと願ったからと言ってすぐにできるわけではないことは重々承知している。簡単なことじゃない。

だから、「欲しい」と望んでいる人に対してはその言葉は間違っていないと思う。

どんなに願っても、どんなにお金をかけても、どんなに努力をしても、「授かりもの」

それは間違いない。

 

でも、子どもを作らず、仕事を頑張っていっても良いかなと考えている私にとって、子どもは「授かりもの」ではない。

選択の一つだ。

産むと決めたら上記の通りだけど、産まない選択があるうちは、選択の一つに過ぎない。

 

だって、赤ちゃんはある日突然お腹に宿るわけでも、ある日突然手の中に現れるわけでもない。

それなりの行程を経てできるものだし、気がついてから産むかどうかのジャッジだってまだこちらに託されている。それの良し悪しは別として、託されている。それは、間違いない。

まぁ、身体的理由もしくは経済的理由がなきゃいけないんだけど、曖昧な部分だし、大体はある一定の期間までは産む側に選択肢がある。

 

作るか否か、産むか否か、は決められることなのだ。

これのどこが「授かりもの」だと言うのだろうか。

 

どう考えたって、選択による結果だ。

「結婚をしたら、授かりものだから、いつ子どもができちゃうかわからないもんね」はおかしな話なのだ。

 

「結婚をしたけど仕事を頑張りたいから子どもは作らないようにする」は可能な選択なのに。

行為自体を無くすこともできるし、避妊したり、ピルやミレーナ、パートナーのパイプカットだって選択肢に入ってくる。

 

結婚したら子どもを作るのが当たり前、という考え方が悪いわけではないけれど、今後も仕事を頑張りたい、子どもについては今後「決めていく」と考えている私にとってはすごく違和感のある言葉なのだ。

 

そんなこと、現実では熱弁できないけどね。

あーあ、生きるのが下手くそですねぇ。