せっかち小夏のズボラな生活

20代OL気まぐれ日記

家事が苦痛「じゃない」ことの弊害

パートナーと暮らし始めて気が付いたことがある。

 

それは、私は「家事が苦痛じゃない」こと。

 

カップルや夫婦によって、家事のルールはそれぞれだと思う。

洗濯は誰、料理は誰、みたいな感じで決めるパターンや、曜日で決めるパターン、休みの日に二人でまとめてやるパターン。

 

んで、その中で私たちは「できる方がやる」を採用している。

残業や遊びの予定など、家で作れる時間はそれぞれだし、役割分担した方が、やっていない時にイライラするのでとりあえずこれで進めている。

 

そうすると、必然的に私が8割以上やることになる。

私が出かけたりしている時は、普通にやってくれているのだけど、平日なんかはパートナーが残業が多いこともあって、掃除も洗濯も料理も私が担当している。

 

共働きだから、家事の偏りに少し違和感はあるものの、相手に文句を言う理由がないのだ。

だって、私は家事を嫌がっているわけではないから。

 

ゲームが趣味の人が、パートナーのゲーム量が少ないからって文句は言わないでしょ?

そんな感じ。

やること自体は本当に苦痛じゃないのだ。

 

むしろ、せっかちだから、やってくれるのを待つ方が嫌で、私がやりたい時に私のペースでやらせて欲しい。

 

ただ、今はそこまで仕事が大変じゃないからな気もしている。

忙しくなってきたら、手が回らなくなるかもしれない。

 

そんな時に家事分担が偏っていることが、争いの原因になったら馬鹿らしい。

 

私は家事が、苦痛じゃないから、生活の一部になっているから、とやってしまうけど、何か相手に嫌だなと思う部分ができた時に、これが背中を押してしまう気がするのだ。

 

家事ってみんなそれなりに嫌なんだって。

それ自体も知らなくて。

 

嫌じゃないもの分担できなくてモヤモヤするなんて自分勝手だよな、私。