せっかち小夏のズボラな生活

20代OL気まぐれ日記

母への気持ち

「一人暮らしをして、親のありがたさを感じた」

 

よく聞く話。

実家に帰るとダラダラしていてもご飯が出て、

洗濯物も綺麗にしてもらえるし、

本当にグータラしちゃうわ、なんて。

 

甘えられる相手がいることは良いことだと思うし、

家庭にはそれぞれの形があるから、感謝の気持ちさえ伝えていればそれで良いと思う。

 

だけど、私が母(うちでは家のことをやってくれるのは9割9部母)に思う感謝は

そこじゃない。

 

そもそも、我が家は働かざるもの食うべからず。

実家にいた頃も、今思うとしょぼいお手伝いだけど、

勝手に出てくる感覚はない。

(ご飯だよ〜〜!なんてにこやかな呼び声と出来上がった食卓はない。そんなものなくて良い。)

 

作ってくれてありがたい、という感覚。

母の名誉のために言うと、「やってやってるぞ!」という押し付けがあったわけではない。

ただ、なんとなくその感じがした。

 

あと、純粋に私はそんなに家事が嫌いじゃなかった。

だから、今も実家に帰ると何かしたくなる。

 

掃除しよっかな。

ご飯は私が作りたい。

妹の部屋片付け妹と一緒にするよ。

 

だから、家事に関しては、

母への感謝よりも、

「もっと不真面目に、手を抜いてやってもよいんだよ?無理しないでね」の気持ち。

新たな感謝

ただ、大学で一人暮らしを始めて、

社会人で自分の生活を自分のお金で支えられるようになって、

そして、今、夫婦二人暮らしになって、

この段階で、新たに生まれた母への感謝の気持ちがある。

 

それは、母からの無償の愛。

親だったら誰でもある、なんてものじゃないと思う。

 

彼女だからこその、彼女からの気持ち。

私たち三姉妹は、母にとってすごく大事な存在なんだな、と。

当事者ながら他人事のようなセリフだけど、すごく感じる。

 

それは、別にお金をくれるとか、好きなものを買ってくれるとか、

手を焼いてくれる、とかそういうのではない。

むしろ逆で、私のことを尊重してくれているからこその、

ちょっと離れた距離感。

 

そして、たまにある顔を合わせるタイミングで見せる、

ありがたいほどの嬉しそうな表情。

 

あぁ、大事にされているんだな、と思う。

 

大学進学時に実家を出たのは、

両親との価値観の違いからだったことは間違いない。

今でも、一緒にいる時間が長くなると考え方の部分で揉める。

(だから、たまに、短時間の帰省しかしない)

 

ただ、それは母にとって、

私への感情が変わるものではないみたい。

 

不器用で、素直で、感情豊かな母。

なんて生きづらそうな、と思うことも多いし、

合わなくて悲しいことも多いけど、

ありがたいほどの愛をくれる人。

 

小さい頃から、私が私の正義を貫けているのは、

もしもの時の、「絶対的な味方」、の存在があるからだろうな、と思う。

(母に限った話ではなく)

 

明日は久しぶりの1泊帰省。

しっかり愛のお返ししてこよう。

(愛情表現豊かなのも母のおかげ。ふふっ)