せっかち小夏のズボラな生活

20代OL気まぐれ日記

毎日のご飯は名前のない料理ばかり。でも、それが良い。

とある漫画のコメント欄で「炒め物」についてのものを見つけた。

料理が苦手なお母さんが、毎日炒め物ばかりを出している描写をみて、いかがなものか、と。

うちではそんなことしないだのなんだの、やや炒め物勢が劣勢の状況。

 

親子丼、ハンバーグ、筑前煮、餃子、オムライス……そう言ったものを回しているのかな。

 

だけど私は、いや、むしろ、毎日そんなに名前のついたご飯を作っているのですか?!という気持ちだ。

 

私の母が作る夕飯にはよく炒め物が出ていた。

私の中では「おふくろの味」の一つ。

でも、これは、母が料理が苦手だったとかではない。むしろ得意な方。

本人の美味しいものを食べたい気持ちが強くて、料理という行為はそこまで好きではないと言っていたが、どれも美味しいものだった。

 

母の炒め物のレパートリーはすごかった。

そんなこともなかったとは思うけれど、毎日「炒め物」と呼ばれる料理だとしても、飽きが来るどころか、むしろ気が付かないのではないかと思うくらい、いろんな味付け、組み合わせ、ボリューム感、見た目のものを作ってくれていた。

 

 

ここでも何度か書いたことがあるけれど、私は料理が好きだ。

台所に立って、あれやこれやと考えながら仕上げていくのが楽しい。

 

でも、得意料理はない。

だって、名前のついた料理はほとんどしないから。

 

それでも、冷蔵庫を見て、組み合わせを考える瞬間はとても楽しいし、短時間で何品も作れた時には「私って天才では?」と調子に乗る。想像以上の美味しさでできた時の喜びはさらにすごい。

 

時間がたっぷりある人とか、丁寧に食事を作ることが全く苦痛ではないは良いかもしれないけれど、「名前のある食事を作らなきゃ」という固定概念は、時に自分の首を絞めると思う。

自分が嫌な気持ちにならず、美味しいものが作り出せたらそれで100点満点。

 

名前のない料理で構わない。

むしろそれが良い。

 

毎日、知らない何かと出会えるなんて楽しいじゃんね。