せっかち小夏のズボラな生活

20代OL気まぐれ日記

「昔は綺麗な施設だったのになぁ……」の正体

先日、十数年ぶりに家族でよく行っていたスーパー銭湯に行ってきた。

 

中学くらいには部活やら勉強やらで家族と過ごすことが減って行っていなかったが、小さい時は定期的に行ってた。

 

パートナーも帰りが遅いし、一人の時間を紛らすためのプチ贅沢。

電車で数駅、お風呂セットを持って。

 

久しぶりに行ったその銭湯は、なんだか想像よりも小さい。

でも、入るとなんだか懐かしくて。

 

そうそう、こんなのだったよなぁ。

なんて思いながら、お風呂に入る準備をしていてふと気がつく。

 

「昔は綺麗な施設だったけど、なんかボロくなっているなぁ……」

 

しばらく来ないうちにさびれちゃったのかな。

それなら寂しいな。

 

でも、平日の夕方だと言うのにお客さんはかなり入っているし、若いスタッフさんもかなりいる。廃れている感じはしない。

 

家族みんなで来たよな、なんて思い出に浸りながら頭を洗っている時にふと。

 

「そうか、施設も年をとったのか」

 

考えてみれば、ものすごく当たり前のことだ。

私が来ていたのは、少なくとも10年以上前。

私が10歳年を重ねたのと同じように、行っていた施設も年を重ねている。(小泉構文かな?笑)

 

そりゃ、年季も入ってくるわけだ。

 

正直、こういうことって結構ある。

6年半実家を離れていて、街も大きく変わっているのに、私の記憶は古いままだから、その変化に戸惑う。

新しいものが入ってきて、綺麗になっているところもあれば、その逆で、長い間頑張ってきて、年季が入っているものもある。

 

行った銭湯は、一応、昨年リニューアルもあったとのことで、なんとなく新しさはあったけど、新品とはさすがに違う。

なんだか小さく感じたのも、純粋に私が少し大きくなったのだと思う。

こんなサイズ感だったかな、なんて自分の成長に少し寂しさを感じたり。

 

「思い出は美化される」なんて言葉もあるけれど、自分とその場所が成長している可能性もあるなと思ったりした。

別に、思い出が美化されているわけではなく、その時はきっとピカピカの新品だったのだ。

私の心ももっと素直だった。

400円ほどの銭湯に家族で行く日がスーパースペシャルな日と感じていたのだから。

 

懐かしい場所に一人で行ったからか、なんだかしんみりしたけれど、ゆったりした素敵な時間を過ごせた。

 

ちょっと話が逸れるけど。

久しぶりに行ってみて、うちの両親は「特別な日」を作るのが上手だったなと思った。

一度の金額は家族全員合わせても1万円もしない程度(食事含めて)で、半日以上遊べる場所に定期的に連れて行ってくれていた。

月に1回あるかないかくらいだったと思う。

「今日は銭湯に行くぞ〜!」みたいなイベント感を出してくる親だったから、楽しめていたのかもしれない。

(このスーパー銭湯は、お食事どころや休憩スペースが充実していて、結構長く楽しめる)

 

今度はパートナーを連れて行ってみても良いかもな。

 

時の流れを感じてしみじみしたというお話でした。