せっかち小夏のズボラな生活

20代OL気まぐれ日記

社会の歯車にすらなれない

会社で働いてすごく思う。

 

「社会に向いて無さすぎる!」

 

って。

 

いくらお客さんでも思いやりのない言動をされたら心底腹が立つし、役職持ちに対してペコペコする意味がわからないし、納得いかないことを指示されると黙ってはいられない。

 

社会は学校じゃないから、こんな偏屈を説得するようなことはしてくれないし、みんな納得とか関係なく、「仕事だから」と割り切って働いている。

 

こうなってくると、社会が悪いのではなく、私が合っていないのだと思う。

社会に。

 

学生時代から薄々感じてはいた。

同じように、人の感情や動きに敏感な友人と、よくそんな話をしていたっけ。

 

社会人、多分だけど、もっと鈍感になる必要がある。

いちいち人の感情や考えを汲み取っていたら、身がもたない。

 

でも、汲み取らない鈍感力を身につけた人は、他人も鈍感なはず、といった言動をとる。

 

「社会の歯車」

 

なんてマイナスな意味で使われる言葉があるけれど、私はその歯車にすらなれない。

歯車が社会を成り立たせているとすれば、その社会を作り上げる中にも入れていないのだ。

 

自我が強い歯車は、全体を歪める存在でしかないんだよなぁと悲しくなる。

 

もっと器用に適応できれば良いのに。

 

笑っちゃうくらい不器用で残念な私。